池田城の幻

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上掲画像は「池田町屋郷土史」口絵にある『土岐川の風景』と題された絵画のものです。
原画は、(一財)池田町屋公民館が所蔵し、池田町屋郷土資料館が管理しています。

本サイトでは、絵画『土岐川の風景』に描かれた稲荷山からの眺望と父のアルバムで見つけた写真の構図の酷似性に着目し、この構図に潜む不思議を『池田城の幻』としてお伝えできればと考えています。

尚、本サイトの掲載内容はサイト・オーナー個人の私的見解に基づくものであり、(一財)池田町屋公民館、池田町屋郷土資料館とは無関係な事を予めお断りしておきます。

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稲荷山から古川を望む

稲荷山から古川と呼ばれた旧・土岐川(川替え前の土岐川)の蛇行を写したもので、父・潔のアルバムで見つけたものです。アルバムのキャプションには『稲荷山から土岐川廃川敷を望む「撮影昭和25年」』とありました。実際の撮影者は不明ですが、恐らく父・潔の長兄である渡邉秀夫の撮影と思われ、後述のアルバムは伯父・秀夫のアルバムだと思われます。

同一写真が「池田町屋郷土資料館」所蔵のアルバム《資料番号 94-3-3》にも存在しています。

この写真は、池田稲荷の祀られる通称「稲荷山(いなりやま)」から撮られたものですが、この構図は絵画『土岐川の風景』を知っていて意識して撮影した、としか思えないほど酷似しています。
絵画に描かれた土岐川は、乾季で水量がほとんどない状態ではありますが、土岐川の蛇行の様子、その周辺の地形を良く表しています。
写真で湖か池のようにみえるのは、昭和11年(1936)の川替えにより堰き止められた土岐川の名残の部分で、撮影当時は「古川」と呼ばれていた事が郷土史にも記されています。
この写真と絵画を見比べると、その蛇行具合といい、下街道の道筋といい、或いは脇之島側の河川敷きの曲線といい、地形的にほぼ一致し、縮尺的にもほぼ同じと考えられ、その写実性に目を見張るものがあります。
またこの両者は現在となってはその撮影者・作者が特定できないという点でも、何かしらの因縁を感じます。

稲荷山から池田町屋を望む

上掲写真と同じ場所から池田町屋方面を撮ったものです。
画面ほぼ中央から上の部分が現在の太平町方面に当たり、また、画面中央右に黒く写る塊は、池田駐在奥にあった竹薮で、この竹薮に隠れた辺りに父の実家がありました。

画面手前が名古屋方面、画面奥が土岐・瑞浪方面になり、画面右寄りには、多治見駅に向かい蛇行する中央線の線路とそれに沿って並ぶ国鉄官舎が見てとれます。

《資料番号 94-3-3》より

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稲荷山から県病院を望む

画面中央奥に見えるのは県病院(岐阜県立多治見病院)の建物で、三角屋根の建物が三列、手前から奥に向かって並んでいる様にみえます。
その奥にやや白く見えるのが土岐川(川替えの後の)で、向かって左に現・田代町方面、右には脇之島から本町方面が望めます。

この撮影位置は前二枚とは異なっているように思えるものの、やはり場所の特定は困難です。

《資料番号 94-3-3》より

新旧土岐川の風景

正面右のVの字からのぞく景色には上掲写真の県病院の建物が写っており、その背後に新しい土岐川の蛇行が見て取れます。
中央に写る木の左側には廃川となって残った旧・土岐川の一部(古川)が確認できます。
更に、絵画の風景を頭に描きながら樹木の向こうに広がる風景を見ると、旧・土岐川の大きく蛇行した川筋が浮かんでくる様に思えます。

《資料番号 94-3-3》より

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これらの写真は、ほぼ同時期(同日)に撮られたものと考えられます。また撮影者が伯父ではないかと推測する根拠は、池田に在った父の実家には押し入れを改造した暗室が在った事を覚えており、またアルバム内に人物を特定できる情報が豊富に在った事によります。
但し、このアルバム《資料番号 94-3-3》を観ても、写っている人物や背景を特定しうる存在は最早池田にはほぼ存命していないのではないか、と考える処です。実際の処、このアルバムを解析した時点(2025年6月)では、現在の資料館でこのアルバムの寄贈者等の情報のトレースは叶いませんでした。
偶々私自身は、他所者とは云え、親戚という事も有り、また父自身は池田町屋で育った事もあり、同時に父のアルバムが残っている事も有り、この《資料番号 94ー3ー3のアルバム解析が可能であったと考えています。

古川の堤防から県病院を望む

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万国旗を飾った実家

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この写真も父・潔のアルバムに在ったもの。但し、上述の「資料番号 94-3-3」には存在していませんでした。

これにも「撮影昭和25年」とあります。

撮影位置は、今2026年設置された「古川の桜」説明看板の辺りではないかと思います。と云うのも、この位置は伯父や父の実家と線路を挟んで向かいに当たる場所で、稲荷への参道となっていた小道なので、稲荷山からの帰りにこの場所で撮影したとしても不思議では無いと思うからです。

「萬国旗を飾った実家」とキャプションの付いたこの写真も父・潔のアルバムに在ったもの。

なぜ「万国旗(萬国旗)」を飾っているのかは不明‥‥。また、撮影時期も不明である。

撮影位置は恐らく左掲写真と同じと思われる。先述した通り、「古川の桜」の立つ位置は、県病院を背にすれば実家がこの様に見え、実家を背にすれば県病院がこの様にみえるからです。

上掲各写真の推定撮影位置
地図はGoogleマップより拝借

撮影位置推定
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