〝幻〟1 なぜ後世に伝わらなかったのか

池田城を考える上での私の最大の疑問がこれです。

私の父もそうでしたが、この池田の地で育ち、池田町屋公民館に少しでも関わった人は皆、と言って良いほど『池田城、池田城』と口にします。にもかかわわらず、池田城の明らかな物証というのがほとんど示されないままなのです。ある人は陶器の破片を以てそれを云い、ある人は縄張りの話をする・・・。それほど話題にするのに、未だに明確な位置すら分からないようなのです。少なくともこの地域に居住する市民が、自由に手に取り、目を通す事ができる、公的な資料が示されたことは、私の記憶ではないのです。

城の設計図に当たるものを「縄張(なわば)り」と云うのだそうです。これほど話題になるお城なのですが縄張りの絵図すら伝わっていないようです。最近私が目にしたのは、『池田城跡縄張り図 平成五年五月作成』というものですが、平成五年といえば1993年のこと、〈2026年4月現在〉実に33年前、つまり前世紀の調査図なのです。池田城がこの地にいつの時代に存在したのか詳しくは知りませんが、少なくとも百年・二百年前の話では無いと考えられます。平成のこの調査の前にはどの様な史料があったのか? はたまた、平成のこの調査以降、事はなにも進まなかったのか? その理由は何なのか? ここにも幻が幾重にも折り重なっているように思えます。

私が初めて「池田城」という言葉を聞いたのは四十年ほど前(三十代半ば頃)でした。体調を崩し県病院に一週間ほど入院した時に、病室で知り合った初老の男性が、散歩で山に行って見つけた陶器片の話をしながら、あの山に昔お城が在ったようですね、ご存知ですか、等と訊かれたことを覚えています。その頃は今に益して無関心でしたので「へ〜 そんなものが」としか思いませんでした。

閑話休題

【史書に残る記述は】
財団法人 池田町屋公民館(現在は、一般財団法人 池田町屋公民館)が平成十八年(2006)三月に発行した「池田町屋郷土史」には、池田城に関する記述の在る史書がいくつか挙げられています。

そこで『池田城、池田城址、城、城山、城主、城郭、古城』をキーワードにこの書籍を全文検索してみると、延べ十四頁ほどにこれらの語が現れるのですが、どの頁の記述を読んでみても池田城についての詳細は明言されておらず、前世(ぜんせい)からの言い伝えの域を脱するものではありません。池田城に関して「池田町屋郷土史」に現れる史書を挙げてみると次のようになります。

・濃陽志略(のうようしりゃく)1752年 江戸時代 宝暦年間に編集発行されたもの
・美濃国諸旧史(みののくにしょきゅうし)1640年代 江戸時代 寛永年間に編集発行されたもの
・新撰美濃志(しんせんみのし)1830〜60年 江戸時代 天保初年から万延元年に編集発行されたもの
・濃州徇行記(のうしゅうじゅんこうき)寛政年間(1789年から1801年)の編集発行か 詳細は不明

池田城が在った時代は織田信長が生きた時代、つまり安土桃山時代、と云われています。西暦で云えば1500年代になります。つまり、上記の史書が編集発行された時代よりも更に200年以上前の出来事になります。これを素直に考えれば、今我々が見聞きしている池田城情報は、元を辿っても結局「伝聞」の域を出ない事になってしまいます。そうです『幻』なのです。

[蛇足]
先の検索キーワードが出現する「池田町屋郷土史」の頁を次に挙げておきますので、興味のある方(或いは、私の記述が疑わしいと思われる方)は是非現物で照合してみてください。

 ・24頁  ・25頁  ・26頁  ・28頁  ・29頁  ・31頁  ・145頁
 ・266頁 ・267頁 ・308頁 ・310頁 ・330頁 ・336頁 ・385頁

※遺漏や誤りを見つけられた時にはお知らせ頂けると有り難いです。

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